【若津港導流堤(通称 筑後川導流堤、デ・レ−ケ堤)
が選奨土木遺産に認定されました 】

導流堤の写真1

 若津港導流堤(通称 筑後川導流堤、デ・レ−ケ堤)が、平成20年11月18日、社団法人土木学会の2008年度「選奨土木遺産」に認定されました。
 若津港導流堤(筑後川導流堤、デ・レ−ケ堤)は118年前、明治政府から招かれたオランダ人技師ヨハニス・デ・レ−ケが建造しました。有明海の干満差で生じる土砂の堆積を防ぐため、河口から上流約6キロまで筑後川の中央部分に石組みの長大な堤を築き、船の航路を確保したものです。導流堤の完成から100年以上経った現在も、その役割を果たしています。

(若津港の沿革と概要)
 若津港は筑後平野の中央を流れる筑後川を航路として栄えた河口港です。
 今から250余年前の江戸時代にさかのぼる宝暦元年(1751年)、当時の久留米藩によって筑後川の下流に開かれ、筑後地方の海の玄関口として、背後の広大な穀倉地帯から米や麦、日田地方の木材の積出港として大小の船舶が常に輻輳し、大いに繁栄してきた河口港です。

(導流堤)
 有明海は干満の差が約6mと大きく、潟土が堆積しやすく、明治時代の重要な輸送手段である船舶輸送を妨げる事が多かったため、筑後川左岸側の土砂が溜まるのを防ぐ航路確保を目的として、1883年(明治16年)に筑後川の調査が行われ、1890年(明治23年)に完成しました。

(ヨハニス・デ・レ−ケ)
 ヨハニス・デ・レ−ケは西洋の近代土木技術の国内導入に際し、1873年に内務省に招かれたオランダ人技師です。31歳で来日したデ・レ−ケは、その後1903年に帰国するまでの30年間滞在し、大阪淀川や木曽三川の治水、各地の砂防や治山、または全国の港湾の築港計画に携りました。デ・レ−ケが携った土木構造物は100年以上経過した現在でも日本各所に現存しています。

 

導流堤の写真2

選奨土木遺産の詳しいことについては、社団法人土木学会のホームページをご覧ください
ホームページアドレス:http://www.jsce.or.jp/
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